語学学習が「勉強」ではなく、生活になっていた


最近、私は気づいた。

語学学習が、もう「勉強」ではなくなっている。

もちろん試験はある。
明後日にはギリシャ語試験のために東京へ向かう。
その次の日が本番だ。

でも今の私は、「絶対に合格しなければ」という感覚だけでは動いていない。

もし不合格だったとしても、おそらく私は続けると思う。

ギリシャ語も、フランス語も。

以前は、語学というと「結果」が中心だった。
点数。
資格。
合格。
どれくらい話せるか。

でも今は少し違う。

私は、ギリシャ文字を見ているだけでも楽しい。
α、β、γと並んでいると、なんだか可愛く見えてくる。

最近は、ギリシャ語の例文をGoogle翻訳に入力して、音声を聞いている。

YouTubeで長い動画を見るより、今の私にはそのほうが合っている。

短い例文を聞く。
何度も聞く。
意味を確認する。
疲れたらやめる。

そのくらいがちょうどいい。

昔なら、「もっと効率のいい勉強法があるのでは」と焦っていたかもしれない。
でも今は、自分に合う方法を、自分で探せるようになってきた。

そして、それは語学だけではない。

早朝にジムへ行き、筋トレとランニングをする。
スーパーへ行き、必要なものだけを買う。
家にあるもので工夫して食べる。
ワインを飲みながら、少し語学に触れる。

そんな生活の流れの中に、自然に語学がある。

だからもう、「勉強するぞ」と構える感覚ではない。

好きだから触れている。

それだけなのだと思う。

パリ で生活した経験も大きかった。

あの街で感じた空気感や、言葉の響き、人々の生活。
それらが今でも、自分の中に残っている。

語学は単なる知識ではなく、別の世界へつながる感覚なのかもしれない。

だから私は、これからも続けるのだと思う。

合格しても。
不合格でも。

たぶん、私はまた文字を眺め、音を聞いている。

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