「あるものを使い切る」という感覚が、最近少し面白い。
以前の私は、料理をするとき「何を買い足すか」を考えていた気がする。けれど今は逆で、「今あるものをどう使うか」を考えている。
きっかけは、酒に漬けていた素材たちだった。
しょうが酒に漬けていたショウガ。
赤紫蘇酒に漬けていた赤紫蘇。
緑茶酒に漬けていた茶葉。
最初は、役目を終えたものだと思っていた。けれど捨てる前に、「これ、何かに使えないかな」と考え始めた。
しょうが酒のショウガは、刻んでしょうゆと合わせ、炊き立ての白ごはんに混ぜてみた。そこに水菜を散らす。熱で少ししんなりした水菜は、シャキシャキ感を少し残していて、思った以上においしかった。
緑茶酒の茶葉は、蒸し鶏にのせてみた。茶葉の少し苦い香りが、淡白な鶏むね肉に意外と合う。オリーブオイルを少しかけると、急に「料理」になる。
赤紫蘇は失敗した。乾燥させて白ごはんに混ぜ、塩をかけて食べたけれど、あまりおいしくなかった。香りが抜け、中途半端な草っぽさだけが残った。でもそれも面白かった。「乾燥が足りなかったのか」「油を足せば変わるのか」と考え始める。
最近の料理は、完成品を作るというより、小さな実験に近い。
ウスターソースとタバスコを混ぜて蒸し鶏にかけてみたり、残っている調味料を組み合わせて甘辛ソースを作ったりする。目的は単純で、「余っているものを、ちゃんと使う」ことだ。
でも実際には、それ以上のことをしている気がする。
香りはどう変わるか。
熱を入れるとどうなるか。
ごはんに合うか。
油を足すとまとまるのか。
そんなことを毎回観察している。
運動を始めてから、食べ方も少し変わった。炭水化物を避けるのではなく、「体を動かすためのエネルギー」として食べるようになった。白ごはんに水菜を添え、蒸し鶏を食べ、果物を買う。派手ではないけれど、自分の体が欲しているものを選んでいる感覚がある。
最近スーパーで、お努め品の赤肉メロンといちごを買った。安かったからではなく、「今が食べ頃だから」買った。
そういう小さな選択が、少し楽しい。
必要以上に買い込まず、今あるものを観察しながら使う。
その繰り返しが、生活を整えている気がする。
料理というより、暮らしの実験なのかもしれない。