今度、父の法要で親せきが集まる。
父の兄弟たちは、いわゆる田舎で育ってきた人たちだ。
それぞれ家庭を持ち、子どもがいて、孫もいる。
久しぶりに顔を合わせる場で、どんな会話になるのだろうと、少し考えてしまった。
想像できる会話
こういう場では、だいたい話題は決まっている。
仕事のこと。
どこに住んでいるか。
そして、家族のこと。
特に、孫の話はよく出る。
写真を見せ合ったり、成長の話をしたり。
それはとても自然なことだと思う。
自分の立ち位置に気づく
一方で、私は少し違う立場にいる。
離婚を経験し、今は再婚していない。
子どももいない。
そして、最近までパリに滞在していた。
こうして並べてみると、
いわゆる「一般的な流れ」とは少し違う場所にいることに気づく。
合わせるべきかという迷い
こういう場に行くとき、ふと考える。
周りに合わせたほうがいいのか。
それとも、そのままでいいのか。
孫の話にうまく入れなかったらどうしよう。
自分の話をしたら、浮いてしまうのではないか。
そんな小さな不安が、頭をよぎる。
パリで変わった感覚
でも、パリで過ごした時間の中で、
少しだけ感覚が変わった。
無理に会話を合わせなくてもいいこと。
それぞれの距離感があっていいこと。
同じ場にいても、同じ話題で盛り上がらなくてもいい。
そんな感覚を、少しずつ持てるようになった。
会話の中にいるということ
親せきの集まりは、
誰かと競う場ではない。
父を中心にした、ひとつの時間を共有する場だ。
だから、すべての会話にうまく入ろうとしなくてもいい。
無理に自分を説明しなくてもいい。
ただ、その場にいて、
必要なときに言葉を交わせばいい。
違和感の正体
感じている違和感は、
誰かが悪いわけではない。
環境が違い、経験が違い、
見てきたものが違う。
そのズレが、少しだけ表に出ているだけだ。
まとめ|そのままで会話の中にいる
今回の法要で、どんな会話になるのかは分からない。
でもひとつだけ思うことがある。
無理に合わせなくてもいい。
無理に離れる必要もない。
そのままで、その場にいること。
それだけで、十分なのだと思う。