便利なものがないほど、私はストレスを感じなかった理由


パリで生活していて、ふと気づいたことがある。
それは、日本よりも不便なはずなのに、なぜかストレスを感じていなかったということだ。

パリメトロには、エレベーターもトイレもほとんどない。
アパルトマンは6階建てでもエレベーターがなく、毎日階段を上る。
部屋には、日本のような便利な家電も揃っていない。

最初は正直、「不便だな」と思った。

けれど、その生活に慣れていくうちに、少しずつ感覚が変わっていった。

不便さは消えない。
でも、それを「不便」とすら感じなくなっていった。

むしろ気づいたのは、
便利なものが少ないほど、私はストレスを感じていなかったということだった。


エレベーターがないなら、階段を上るしかない。
家電がなければ、それに合わせた生活をするしかない。

そこには「選択」がほとんどない。

でも、それがとても楽だった。

どれを使うか迷うことも、
どうするのが正解か考えることもない。

ただ、目の前の状況に合わせて動くだけ。

そのシンプルさが、思っていた以上に心地よかった。


日本に帰ってきて、改めて感じた。

何でも揃っている。
エレベーターも、家電も、サービスも、すべてが整っている。

便利で、快適で、何一つ困ることはない。

それなのに、なぜか少し疲れる。

どれを選ぶか、どう使うか、どう動くか。
私たちは、無意識のうちにずっと判断し続けている。

選択肢が多いということは、自由であると同時に、負荷でもある。


パリでの生活は、「足りない」のではなかった。
ただ、「削ぎ落とされていた」だけだった。

そして一度その感覚を知ってしまうと、
便利さが必ずしも心の余裕につながるわけではないと気づく。


便利なものがないほど、私はストレスを感じなかった。

それは、不便に慣れたからではなく、
余計な選択や思考から解放されていたからかもしれない。


日本の便利さは、確かに素晴らしい。
でも、ときどき立ち止まって思う。

「これ、本当に全部必要なんだろうか」と。

パリでのあのシンプルな生活は、
今でも、私の中に静かに残っている。