最近、私は辞書をバッグに入れて持ち歩くようになった。
前までは、辞書は家で使うものだった。机の上に置き、勉強の時間になったら開くもの。わからない単語を調べ、閉じる。それだけの存在だった。
でも今は違う。
外に出るときも一緒に持っていく。
仕事に行く日も、魚屋へ行く昼休みも、茶道 の日も。
最初はただ便利だからと思っていた。けれど気づいた。
これは単なる便利さではない。
たぶん私は、言葉を生活の中で拾いたくなったのだ。
道で見かけた言葉。
本の中で出会う言葉。
ニュースで流れる言葉。
ふと心に引っかかった言葉。
その場で確かめる。
その小さな行為が、自分の生活の一部になり始めている。
思い返せば、パリ に滞在した時もそうだった。
観光地を巡るより先に、私の体は フランス国立図書館 に向かっていた。
行きたい、ではなく、行かなければと思った。
あの時は理由がわからなかった。
でも今なら少しわかる。
私は昔から、言葉のある場所に引っ張られていたのだ。
祖母は農家だった。
毎日畑を耕し、それが人生そのものだった。
私は畑を耕してはいない。
でも今、別の畑を耕しているのかもしれない。
言葉の畑だ。
辞書を持ち歩くようになったのは、その証なのだと思う。
まだ何が育つのかはわからない。
でも土に手を入れ始めた感覚だけはある。
人生の転換点というのは、大きな出来事ではなく、
こういう小さな習慣の変化から始まるのかもしれない。
ある日ふと、バッグの中に辞書が入っている。
それだけのことなのに、
もう前の自分には戻れない気がしている。