あるもので作る生活


最近、生活が少し面白い。

以前は、何かを買うことで気分転換をしていた気がする。
疲れたら甘いものを買い、時間が空けばショッピングサイトを眺め、足りないものを探していた。

でも最近は、冷蔵庫の中にあるものを見るのが楽しい。

この前は、スーパーで半額になっていた地海老を茹でた。
まずはそのまま、おつまみとして食べた。殻をむきながら、少しずつ味わう。十分おいしい。

問題は、そのあとだった。

鍋には、海老のうま味が溶け出したゆで汁が残っている。
以前なら、そのまま流していたと思う。でも最近は、「これ、まだ使えるな」と自然に考えるようになった。

ちょうど家には、作り置きしていた茹で大豆があった。
大豆を煮た時の汁も、少し残してある。

そこで、海老のだしと大豆の煮汁を合わせ、もち麦を入れてリゾットを作ってみた。

これが妙においしかった。

豪華な食材ではない。
レストランの料理みたいな派手さもない。

でも、海老の香りの奥に豆の甘みとコクがあり、もち麦のぷちぷちした食感が続く。少量でも満足感がある。

食べながら、「これ、まかないっぽいな」と思った。

学生時代、私は居酒屋でアルバイトをしていた。
そこでは、仕事終わりにまかないが出ていた。親子丼だったり、余った食材を使った炒め物だったり。

決して贅沢ではない。
でも、働いた体にちょうどよく染み込む味だった。

最近、自分が作っている料理には、その頃の感覚が少し戻ってきている気がする。

大事なのは、「何を買うか」ではなく、「今あるものをどう活かすか」。

海老のだしを捨てない。
大豆の煮汁も使う。
余ったものを次につなげる。

すると、不思議と料理が“消費”ではなく“編集”になる。

節約しているはずなのに、気持ちはむしろ豊かだ。

100円ショップに行っても、何も買わずに帰る日が増えた。
欲しいものがないというより、「今あるもので十分面白い」と感じている。

朝はマクドナルドでコーヒーを飲みながらフランス語を勉強し、走って、筋トレをして、家ではあるもので料理を作る。

派手な生活ではない。
でも最近、「生活そのもの」を育てている感覚がある。

若い頃は、刺激が面白さだった。

でも今は、
少しずつ工夫しながら、無駄なく循環していく毎日のほうが、ずっと奥深い。