「効率を手放したら、生活に少しの高揚感が戻ってきた」


最近、生活の中で「効率」をあまり考えなくなった。

以前は、どうすれば無駄なく動けるか、
どうすれば時間を有効に使えるか、そんなことをよく考えていた。
でも今は違う。

洗い物はこまめにやらなくてもいい。
洗濯物も、少しくらい干しっぱなしでも気にしない。

食事も同じだ。
ご飯は炊飯器にあるし、ゆで卵はまとめて作っておく。
鶏むね肉も多めに蒸して、食べるときにソースをかけるだけ。

だから、ジムの後でも、朝起きた後でも、
「何かを用意する」という工程がない。
すぐに食べられる状態ができている。

お茶もボトルに用意しておけば、いつでも飲める。
コーヒーだけは、その都度つくる。
それがちょっとした気分転換になる。


効率を手放したのに、むしろ整っている

不思議なことに、効率を意識しなくなったのに、
生活はむしろスムーズに回っている。

おそらく、完全に何も考えていないわけではなくて、
「その都度判断する」ようになったからだと思う。

すべてを事前に決めるのではなく、
そのときの自分の状態に合わせて選ぶ。

だから頭は程よく使う。
でも、疲れるほどではない。


パリ生活の再現

この感覚は、どこかで経験したことがあると思っていた。

それが、パリでの生活だった。

パリでは、すべてがきっちり管理されているわけではない。
でも、まったく無秩序でもない。

必要最低限は整っていて、
あとはそのときの気分で動く。

カフェでエスプレッソを飲みながら、
半分起きた状態の頭で教材を開く。
そんな時間が日常の中にあった。

今はカフェに行かなくても、
その感覚を自宅で再現できている。


「場所」ではなく「状態」をつくる

カフェの良さは、場所ではなかった。

  • 少しぼんやりした頭
  • コーヒーの刺激
  • 静かに何かを始める時間

そういった「状態」だったのだと思う。

そしてその状態は、特別な場所がなくてもつくれる。


小さな高揚感がある生活

今の生活には、落ち着きがある。
でもそれだけではない。

コーヒーをつくるとき、
語学の教材を開くとき、
「今日はどうしようかな」と考えるとき。

ほんの少しだけ、高揚感がある。

この小さな高揚感が、
生活をただの作業にしないでくれる。


今の自分の状態

今の私は、

  • 完璧に管理された生活でもなく
  • だらけているわけでもなく

「流れの中で選びながら過ごしている」状態に近い。

効率を追い求めていたときよりも、
むしろ自然で、無理がない。

そして気づいたのは、
こういう生活の方が、長く続くということだ。


効率を手放したことで、
失ったものはほとんどない。

むしろ、
小さな余白と、ほんの少しの高揚感が戻ってきた。

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