パリの夕方にあって、日本の暮らしにないもの


帰国して1週間。ようやく日本の生活に体が慣れてきた頃、ふとした瞬間にパリでの暮らしがよみがえる。

それは、観光地でも、美術館でもない。
一日の終わり、夕方のアパルトマンで過ごしていた、あの静かな時間だ。

特別なことは何もしていなかった。
ただ部屋にいて、少し疲れた体を休めながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

向かいの建物には、同じように一人暮らしをしている若い女性がいた。
彼女もまた、自分の部屋で静かに過ごしている。スマートフォンを見ている時もあれば、キッチンに立っている時もある。

パリのアパルトマンにはカーテンがないことが多い。
だから、意図せずして生活の一部が視界に入ってくる。

一階下には家族が住んでいて、夕食の準備をしている様子や、誰かが帰ってきてドアを開ける音が伝わってくることもあった。

会話をしたことはない。名前も知らない。
それでも、「同じ時間を生きている人たち」が確かにそこにいると感じられた。

完全に孤独ではない。
でも、干渉もされない。

ただ、それぞれが自分の生活を淡々と営んでいる。

日本に帰ってきて感じるのは、この“気配”の違いだ。
日本の暮らしはとても快適で、安全で、整っている。
その代わり、他人の生活は見えないように設計されている。

音も、視線も、遮断されている。

それは安心でもあるけれど、どこかで「自分ひとりで完結している感覚」も強くなる。

パリで感じていたのは、もう少しだけ外に開かれた生活だった。
誰かと関わるわけではない。でも、完全に切り離されてもいない。

あの曖昧な距離感が、なぜか心地よかった。

帰国して1週間。
生活はすっかり日本に戻ったのに、夕方になると、あの時間だけがふと蘇る。

何もしていなかったはずの時間なのに、
なぜか一番、記憶に残っている。

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