日本は安心なのに、なぜか疲れる理由


日本に帰ってきてまず感じたのは、「安心感」だった。

街は清潔で、治安もよく、
コンビニも夜中まで開いていて、何でもすぐ手に入る。
電車も時間通りに来るし、サービスも丁寧。

生活する上でのストレスは、ほとんどない。

それなのに、なぜか少し疲れる。


理由ははっきりしないけれど、
一日を過ごしたあとに、どこか気を張っていた感覚が残る。

誰かに何かを言われたわけではない。
トラブルがあったわけでもない。

それでも、心のどこかがずっと緊張している。


日本では、「気を遣うこと」が前提になっている。

相手の空気を読む。
場の雰囲気に合わせる。
求められている振る舞いを無意識に選ぶ。

それは優しさでもあり、社会を円滑にする仕組みでもある。

でも同時に、
自分の内側を少しずつ削っていく感覚もある。


パリで感じた「楽さ」は、
この前提がなかったことにある。

誰もこちらに期待してこないし、
こちらも無理に応えようとしなくていい。

無関心に近い距離感だけど、
その分、自分のままでいられる。


日本では、
「何も起きていないのに疲れる」ことがある。

それはきっと、
目に見えないコミュニケーションが常に行われているから。

言葉にしないやり取り。
察すること、配慮すること。

それらが積み重なって、静かにエネルギーを消耗していく。


安心できる場所のはずなのに、疲れてしまう。

それは矛盾しているようで、
実はとても自然なことなのかもしれない。

安心とは、「整っていること」。
でも、心が自由でいられるかはまた別の話だ。


だから最近は、少しだけ意識している。

全部に応えようとしないこと。
空気を読みすぎないこと。
自分の輪郭を保つこと。


日本の良さを感じながら、
その中でどう自分を守るか。

そのバランスを探すことが、
これからの自分の課題なのかもしれない。