“二拠点生活”という言葉に違和感がある理由|海外で暮らして見えたこと


日本に帰ってきて、何気なく見たニュース。
そこで語られていた「二拠点生活」という言葉に、少しだけ違和感を覚えた。

東京と地方を行き来する暮らしと、
海外で生活するということは、本当に同じなのだろうか。

日本に帰ってきて、ネットのニュースを見た。
「二拠点生活」という言葉に、私は少し違和感を覚えた。
正直に言えば、それを同じものとして語ることに、無理があるように感じた。

芸能人が東京と地方を行き来する生活。
日本で言われる二拠点生活は、そういうものだと思う。

環境は変わるけれど、
言葉も文化も、大きくは変わらない。

一方で、私が行き来していたのは
日本とパリだった。

そこでは、前提がまるごと違う。

言葉はフランス語で、
生活のリズムも、人との距離感も、日本とは少しずつずれている。
便利さが整っていないことも、むしろ普通だった。

最初は戸惑った。
でも、いつのまにか、その不便さにストレスを感じなくなっていた。

むしろ、余計なものが削ぎ落とされて、
自分の感覚がはっきりしていくような気がした。

だから、あのニュースを見たときに思った。

これは、どちらが上とか下とか、そういう話ではない。
でも、同じ言葉でまとめてしまうと、やはり少し違う。

日本の二拠点生活が「場所を行き来すること」だとすれば、
海外で暮らすことは、「感覚や価値観を行き来すること」なのかもしれない。

日本にいると、安心する。便利で、整っている。
でも、そのぶん少しだけ、息が詰まるような感覚もある。

パリにいると、不便で、曖昧で、ときどき不自由だ。
それでも、不思議と気持ちは軽かった。

たぶん私は、その両方を知ってしまった。

だからもう、一つの場所の感覚だけで
生きていくことはできないのかもしれない。

同じ言葉でも、その中身はこんなにも違うのだと、あらためて思う。