パリで「尊重」を感じた私が、初めて偏見を目の当たりにした日


パリでの生活は、私にとって「尊重」という感覚を強く実感する時間だった。
誰にも干渉されず、自分のペースで生きていい。
意見が違っても、それはただの違いとして受け止められる。

そんな空気の中で、私はとても自由だった。

だからこそ、その出来事は少し衝撃的だった。


ある日、モロッコ出身のおじさんとカフェに入った。
彼は落ち着いた人で、フランス語も自然に話し、社会の中でしっかり生きている人だった。

席についてしばらくして、彼はカフェのマスターに握手を求めた。
ごく普通の、敬意や親しさを示す行為だと思う。

でも、マスターはそれを拒否した。
そして、私たちが店を出たあと、彼に向かって中指を立てた。


最初は、何が起きたのかよく分からなかった。
ただ、空気だけが明らかにおかしかった。

そのとき私が感じたのは、怒りというよりも「悲しさ」に近い感情だった。

人が人として扱われていないような感覚。
しかもそれが、特別な出来事ではなく、どこか日常の延長にあるような空気。

さらに印象的だったのは、そのおじさんの反応だった。
彼は怒るでもなく、私をなだめるように振る舞った。

まるで「こういうことはある」と知っているかのように。


そのとき私は、初めて気づいた。

パリはたしかに自由で、個人が尊重される場所だ。
でも同時に、すべての人が同じように扱われているわけではない。

尊重と偏見は、同じ場所に同時に存在している。


それまでの私は、どこかで「フランス=自由で平等な国」というイメージを持っていた。
実際に体験した「尊重される感覚」も、そのイメージを強めていたと思う。

でもあの日の出来事は、その見方を少しだけ現実に引き戻した。

理想だけではない。
でも、すべてが否定されるわけでもない。


日本に戻ってから、私は逆に別のことを感じている。
気遣いや配慮がとても細かく、安心できる一方で、どこか息苦しさもある。

パリでは干渉されなかった。
日本では配慮される。

どちらがいい、という話ではなく、
ただ「違う」ということ。


あのカフェで感じた悲しさは、今では少し形を変えている。

それは「フランスはひどい」という感情ではなく、
「どの社会にも光と影がある」という理解に近い。

そして同時に、
自分はどういう世界で、どう人と関わりたいのかを考えるきっかけになった。


尊重されること。
そして、人を尊重すること。

その当たり前のようで難しいことを、
私はあの日、少しだけ深く考えた気がする。